金融情報学

(0)はじめに

金融ネットワークは多数の要素からなる動的なシステムで、数学的、物理的、情報学的なアプローチを用いた研究が盛んになってきている。たとえば、リーマンショックや欧州債務危機などの金融危機は、金融ネットワークのシステミックリスクと、動揺した市場参加者の群集行動による金融市場の混乱に源泉があり、そのメカニズムの解明が望まれている。そこで、金融市場のダイナミックス的な側面とネットワーク的な側面の両面をにらみつつ、金融市場のメカニズムの解明を物理的、工学的なアプローチから目指している。

(1)プロスペクト理論の研究

人間の行動心理が、経済・金融にもたらす影響としては、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって提案されたプロスペクト理論が知られている。この理論によれば、不確実な環境の中で人間は、損失領域では、リスク・テイカーになり、利得領域ではリスク・アバースになる。このように、人間心理には、意思決定において、理性的とは言えないような心理が一般的に働き、それが金融市場にも反映されるはずである。

そこで、金融取引データを解析することにより、群集心理によるパニックやプロスペクト理論などに代表されるような非理性的な人間行動パターンにも着目して市場参加者の行動心理の傾向を統計的に解析する研究を行っている [1]。

論文
[1] Y.Y. Liu*, J.C. Nacher*, T. Ochiai*, M. Martino and Y. Altshuler, “Prospect Theory for Online Financial Trading”,
PLoS ONE 9(10): e109458 (2014)
*These authors contributed equally to this work.
[論文リンク], [PDF]

日本語による解説記事。
[2] T. Ochiai, J.C. Nacher, “外国為替取引におけるプロスペクト理論”, 第19回人工知能学会 金融情報学研究会(SIG-FIN), 東京大学本郷キャンパス, 東京, 10月14日, (2017)
[PDF]

(2)金融市場のランダム性からの乖離の研究

これまで金融のリスクマネージメントなどのためのモデリング手法に対して、ARCHモデル、GARCHモデルのように、ボラティリティーが時間的に変動するモデルや、相場のトレンドを記述することのできる非整数ブラウン運動をもちいたモデルが提案されてきた。これらのモデルにより、単純な幾何ブラウン運動によるモデリングを超えて、より正確に市場を記述することが可能になってきた。

これらの従来のモデルは、現在の価格が直近の過去の値のみに依存するマルコフ的なモデルである。ところが、我々の研究によれば、従来提案されてきたマルコフ的なモデルでは、市場参加者の心理的側面がうまく反映されないことがわかってきている。たとえば、金融資産の値動きは、はるか昔の最安値や高値に心理的な影響を受けている。我々は、過去の高頻度日中データを用いて、過去最安値、最高値に価格が近づいた時の価格変動の統計的な性質を調べた。それによれば、値動きが過去最高値(最安値)を更新する確率は、ランダムウォークの場合よりも小さいが(過去最安値、高値における抵抗効果)、いったん更新されると、その時のボラティリティーは、ランダムウォークの場合よりも大きくなる(高値(安値)更新の加速効果)[3]。

これらの投資家の心理的影響は、従来の価格変動モデルでは考慮されていない。本研究では、このようにマルコフ的なモデルを超えた新しい価格変動モデルを構築することを目的し、またその応用として、より現実的なリスク管理手法や、金融派生商品の設計方法を提案する。

論文

[3] J.C. Nacher, T. Ochiai, “Foreign exchange market data analysis reveals statistical features that predict price movement acceleration”,
Physical Review E, 85, 056118, 7 pages (2012)
[論文リンク]

日本語による解説記事。
[4] T. Ochiai, J.C. Nacher, “外国為替市場の価格変動に対する非マルコフ的な統計的特徴について” (Non Markovian Feature of the Price Dynamics on Foreign Exchange Market ), 人工知能学会研究会資料SIG-FIN-009-04, 第9回 ファイナンスにおける人工知能応用研究会 (SIG-FIN), 慶応義塾大学, 11月17日(土) (2012)
[PDF]

<関連PDF>

Volatility-constrained correlationを用いた金融市場間の 影響伝播の解析

外国為替市場の価格変動に対する非マルコフ的な統計的特徴につ いて

<関連パワーポイント>
Volatility-constrained correlationを用いた金融市場間の影響伝播の解析(人工知能学会合同研究会にて発表)

(3)VC correlation(VC相関の研究)

directionality

これまで様々な分野の研究において、時系列データの相関係数を計算することにより、その背後のネットワークを推定する努力が進められてきた。これら時系列データから、背後のネットワークを同定する研究は、いわゆる通常のピアソン相関係数(Pearson product-moment correlation coefficient)を用いられることが多い。ところが、通常の相関係数では、相関の有無はわかっても、その方向性まではわからない。つまり時系列データA,Bに対して、相関係数Cor(A,B)と、Cor(B,A)では同じ値をとるために、AとBのどちらが制御側で、どちらが被制御側かわからない。

そこで、我々はVolatility-Constrained-Correlation(VC-correlation)と呼ぶ新しいタイプの相関を計測する手法を開発した[5,6,7,8]。このVC-correlationを用いることにより、2つの要素A,Bの間の相関のみならず因果の方向性まで検出することができるようになった。VC-Correlationを用いて、金融市場間の影響伝播の有向ネットワークを構築して、新しいリスクマネージメントの方法や金融派生商品のモデリングをめざす。複数の金融商品を組み合わせたリスクマネージメントや金融派生商品の設計には、通常金融商品の間の一定の相関係数と、価格変動の分布が仮定されているが、この方法で得られた実証的な研究成果を用いることにより、より正確なリスクマネージメントの方法などを提案することが目標である。

VC correlation関連の論文

[5] T. Ochiai, J.C. Nacher, “VC correlation analysis on the overnight and daytime return in Japanese stock market”
Physica A, Volume 515, 537-545(2019)
[論文リンク]

[6] T. Ochiai, J.C. Nacher, “Volatility-constrained correlation identifies the directionality of the influence
between Japan’s Nikkei 225 and other financial markets”,
Physica A 393, 364–375 (2014)
[論文リンク]

[7] T. Ochiai, J.C. Nacher, “Predicting link directionality in gene regulation from gene expression profiles using volatility-constrained correlation”,
Biosystems, Volume 145, 9–18 (2016)
[論文リンク]

[8] T. Ochiai, J. C. Nacher, “Unveiling the directional network behind financial statements data using volatility constraint correlation”,
Physica A: Volume 600, 127534, 12 pages (2022)
(論文リンク),(PDF)

日本語による解説記事

[9] T. Ochiai, J.C. Nacher, “Volatility-constrained correlationを用いた金融市場間の影響伝播の解析”, 第14回人工知能学会 金融情報学研究会(SIG-FIN), 人工知能学会研究会資料SIG-FIN-014-05, 株式会社ホットリンク, 東京, 1月21日(土) , (2015)
[PDF]

[10] T. Ochiai, J.C. Nacher, “日本株式市場におけるdaytimeとovernight returnの間のVC相関解析”, 第24回人工知能学会 金融情報学研究会(SIG-FIN), 東京大学本郷キャンパス, 東京, 3月13日, (2020)
*新型コロナ蔓延のために研究会は中止となったが、掲載論文をもって発表者全員が発表扱いとなる。
[PDF]